御由緒いっぱい:志式神社・2

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志式神社
福岡市東区の奈多。
地図で偶然見かけた志式神社は、予想よりずっと大きな神社でした。
知らぬは何とやら、、、ぶらり散策の続きです。


昨日書いた奈多の志式座、正面に立って振り返ると二の鳥居が正面に。
下の写真はちょっと角度がズレてますが(^^;) あらためて神社に正対する感じです。

志式神社

二の鳥居から一の鳥居までの間に志式座の広場がある、
という空間構成になっているみたい。
ここで人々が集って祭事をくりひろげるんですね。

志式神社

二の鳥居をくぐって三の鳥居の前、奥のほうに拝殿が見えてきました。

志式神社

階段の上の門ごしに、日がさす拝殿と対面。

志式神社

門をくぐると、広い境内には摂社・末社がたくさんありました。

・・・この機に調べてみましたが、摂社っていうのは本殿の神様とゆかりのある神様を祀った小さい神社を言うそうで、末社はそれ以外の神様の神社だそうです。

神社用語の基礎知識、少しずつ学んでいきたいと思います(^^)

志式神社

拝殿立派ですねー・・・

こうしてる間にもお参りに来ている人がいました。

拝殿の前に、「志式神社記」と題した由緒書きが貼ってありました。
かなりもりだくさんで知らないこともいっぱいだったので、調べながらメモ。
*引用は斜めの文字にしてあります。

(志式神社記より)神功皇后三韓進軍の折 此の奈多浜に鎮座される荒ぶる神の御前にて戦捷の神楽を奏して征途につかれた、此の所を神楽岸又は踊り坂と伝え、当時神功の料理に奉仕した祖先の意志が受けつがれ今日の早魚神事として伝承される。

とりあえず、っていうか、やっぱり神功皇后(じんぐうこうごう)登場。

皇后が半島に進軍する前にここで戦勝祈願の神楽をした。その折りに皇后に地元の人たちが料理を奉じた故事にならって、早魚神事っていうことをやっている。

読み方すらわからない「早魚神事」を調べると、

志賀島の東、奈多に鎮座する志式神社の秋の大祭では、「献魚包刀式」を中心に繰り広げられる独特の神事「早魚神事(はやましんじ)」が行われます。夜神楽のなかで「早魚舞」として行われ、福岡県の無形民俗文化財に指定されています。
献魚包刀式は二組の青年たちが、まな板の上に置いた塩鯛をさばく早さを競う競争神事で、若者から大人への通過儀礼でもあります。一組は包丁で鯛をさばく「料理人」、座元に鯛のヒレを差し出す「ひれさし」、さばいた鯛の身を入れるすり鉢をもつ「すり鉢持ち」、そして「提灯持ち」の4人で構成されます。出場者と役割は当日のくじ引きで決まり、2時間程の稽古で本番にいどみます。
さばいた鯛は古来「安産」の守りとされ、小さく切り分けて氏子たちに配られます。

ふ〜む、何やら見ごたえがありそうですね(^^)

志式神社

こちらが本殿。写真が暗くてすいません。

(再び志式神社記より)古は三郎天神と称え後に志々岐三郎天神と称えたのは志々岐の三郎が勧請合祀した故であろう、明治の代に至り志式神社と改称される祭神は火明神、火酢芹神、豊玉姫神、十域別心、稚武王、葉山姫神で火難、盗難、難産を免れ家運を開く神として広く世に知られる。

もとは三郎天神と呼ばれて、明治に志式神社と改称されたそうですが、三郎天神てなんだろう?
調べてみると、福岡にもいくつかあるみたいです・・・またどこかで出会うかな。

ところでこの奈多には七不思議と言われるものがあって、この三郎天神の力といわれてるらしいです。(それぞれ面白そうなんですが、長くなりすぎそうなのでメモのみ。)
1.火事がない
2.盗難がない
3.難産がない
4.雀が歩く
5.砂が鳴く
6.穴蜂がいない
7.波の音が聞こえない

志式神社

詳しいわけじゃありませんが、本殿も細部までなかなか見事でした。

(さらに志式神社記のつづき)正徳五年正月、寫書の「奈多浦志々岐大明神之事」に、聖武天皇の御宇観世音寺建立に当りご本尊を中華の國おり運ぶ折り、此の奈多沖にて急に大時化に会い肥前の國五島の志々岐大明神を船中に勧請し祈願した所無事皈國することが出来た。その後奈多の吹上浜に斯の社を建てその横に四尺三寸五分三尺六寸厚さ二寸二分の金の台座の上に赤銅の阿弥陀仏像を祭ったが、天正十二年岩屋陣の戦の時島津兵がこの像を盗み皈り后に刀の鍔に改鋳した。之が今日伝わる筑前の阿弥陀鍔の由来である。
此の由緒ある神社を永久に世に伝え限りなき神徳を氏子崇敬者と共に讃えむ。

聖武天皇の時代、お寺を建立するとき中国からご本尊を運ぼうとしたら、この沖で海が荒れて困った。
そこで船の中で志々岐大明神に祈願したところ、無事に帰れた。
で、ここに社を建てて阿弥陀仏像を祀った。これが志式神社、もと志々岐三郎天神の始まりってことのようですね。

志式神社

拝殿と本殿の間。
木造の凝った造りですよね。
海の近くってことで痛みやすいんじゃないかとも思いますが、木組みも含めてとてもきれいです。

由緒解説に戻りますが、長崎県の平戸に、志々伎山を中心にした著名な神社があるそうです。主祭神は十城別王・・・
こちらの志式神社の祭神に十域別心という名があるのですが、同じ神サマかも知れません。

祭神は日本武尊の子、仲哀天皇の異母弟で、神功皇后の三韓征伐に従い、その後当地に留まり西国警護を命ぜられたと伝えられる十城別王(十城別命)・・・

その後その仏像、戦の折りに薩摩にもってかれちゃって刀のつばになったらしいですが、その阿弥陀鍔(つば)についてはよくわかりませんでした。

岩屋陣の戦いっていうのは、これみたい。

今回はずいぶん長くなってしまいました、、、おつかれさま & おつきあいありがとうございます(^^;)

にしてもネットがあってほんと助かります。
図書館で調べていたらとんでもないことになっていたでしょう、、、

志式神社、もりだくさんです(^^;)


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コメント

  1. あっとさん、こんばんは!
    ちょっと遠出すると、またいろいろな神社がありますね~。
    海も近くて、ドライブも気持ちよさそう♪
    志式神社、大きくてきれいな神社ですね。
    ライブ場もあって、、みんなに親しまれてるんでしょうね。
    ほんと由緒がいっぱい~調べはじめるといろいろわかっておもしろいですね!
    トップにもなってる3枚目の写真、気持ちいいです☆
    そして、拝殿の手前にいる馬が気になる。。。

    • at より:

      けいこさん、こんばんは(^^)

      そうなんですよ〜、海沿いが気持ちいい季節になりました。
      おっしゃるとおり大きくてきれい、海が近いせいか、さわやかなお社でした♪

      逆光でなかなかうまく撮れなかったんですが、その三枚目は何とか普通に撮れた感じです。ありがとうございます。

      うん、馬でしょ、、、
      あとから調べたら馬とか狛犬とかも見所だったようで、失敗しました。
      やっぱり下調べしたほうがいいんでしょうね〜(^^;)
      ぶらりと寄って思わぬ発見、ていうパターンが好きなんですけどね(´⊆`*)ゞテヘヘ.

      いつも見てくださってどうもありがとうございます!
      そろそろけいこさんのお写真も見たいなぁ(^^)/

  2. かおたん より:

    ふぅ〜ん、またまた出てきました、例の皇后!どんだけ色んな事に関わったお人なんざましょ!
    それにしても立派な外観ですね〜。天井もまた手の混んだ。でもその綺麗な感じからして、後年再建というか同じようにやり直したのかな、と思いました。
    三の鳥居は古そうな面持ちでしたから、それが元々の鳥居なのかもね。いや、ホントの元々は木でしょうけど^_^;
    毎回思うけど、やはり必ずあちこちの神社と繋がっていますね。そう思うと神社ってかなりの数あちこちにあるってことですね。日本はホントに神様の国ですね〜^_^;

    • at より:

      遠い福岡の話なのに、かおたんは全部目を通してくれてるから、もうおなじみになっちゃったかも知れませんね、神功皇后。

      とにかく行く先々で出会います。おかげでストーリーというか、あちこち関連が出て来て飽きないです。大昔の、教科書にはあんまり出てこない、半分神話みたいな歴史の痕跡をたどるのは、実態がわからないだけにイメージを呼び起こされるところがあって、ハマる人の気持ちもよくわかります(^^)

      神社の神サマって、天皇が祀られていたり武将が祀られたりもしてるから、かなり人に近い存在ですよね。後年神サマに昇格、って感じで。
      このごろはそんな視点で、祀られてる神サマが象徴してるのはどんな人や人たちたちだったのかな、って感じも持ちながら見るようになりました。

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