古代の絶対防衛線:水城跡(天神山土塁)

史跡


日拝塚古墳のある春日市に足を伸ばしたので、
こちらの史跡にも行ってみました。
日拝塚からちょっと歩きます。


え、どれかって?

水城跡(天神山土塁)

ここです、このこんもりした山。

古墳?

いえいえこれは、水城(みずき)跡という史跡だそうです。

水城跡(天神山土塁)

聞いたことありますかね?
私はここに来て初めて知りました。

白村江(はくすきのえ)の戦いで新羅・唐の連合軍に敗れた日本が、防戦のために築いた土塁だ、と書いてあります。

元寇の防塁は有名ですが、そのはるか昔にも大規模な防塁を作っていたんですね。

水城跡(天神山土塁)

地図を大きくしてみますよ↓。

白いところが平地、色がついてるところが山地です。
左上が博多湾方面で平地が広がっているのですが、右下の太宰府に近づくにつれ両側から山が迫っています。
その地形を利用して何カ所かに土塁を設け、太宰府を守ろうとしたようです。

この地図では五つの土塁が記されていて、一番大きいのが水城(大堤)とあるところ。
この辺りにお住まいの方でしたら、その巨大さに驚きますよね。
今回来たのは一番左の天神山土塁。抜け道を防ぐ役割って感じでしょうか。

水城跡(天神山土塁)

ところで、土盛りなのに何で水城?

どうやら堤の前に壕を備えた、かなり堅固なものだったようです。

日本書紀に「天智(てんち)三年(664) 対馬嶋(つしまのしま)、壱岐嶋(いきのしま)、筑紫国(つくしのくに)などに防(さきもり)と烽(とぶひ)を置く。また、筑紫(つくし)に、大堤(おおつつみ)を築きて水を貯えしむ。名づけて水城という。』とあります。その意味は対馬、壱岐、筑紫の国などに防衛のために兵士を派遣し、通信手段のためにのろし台を設置した。また、筑紫に大きな堤防を築いて、水を貯えさせた。水城という名をつけた。となります。
水城の堤防は、大城山麓(おおきさんろく)から下大利(しもおおり)に至り、全長約1.2キロメートル、幅80メートル、高さ13メートルの人工の盛土(もりつち)による土塁(どるい)で、博多側には幅60メートルの濠(ほり)がありました。現在では「水」という文字を使うのか疑問に感じる人も多いでしょうが、当時は満々と水を貯えた濠と見上げるような大きさの土塁があったのです。

水城跡(天神山土塁)

上に登る道がありましたが、今回はやめときます(^^;)
また機会があれば。

白村江の戦いの敗戦は、国の形が倭から日本へ大きく変わるきっかけになったと言われているようです。興味のある方は見てみてはいかがでしょう(^^)

てか、こういうの歴史で習ったんですかね、
完全に忘れてます(^^;)

コメント

  1. セッポン より:

    水城跡、知ってはいましたがこんなに大掛かりなものだったとは…

    ちゃんと登って見てみたいですね。

    …涼しくなったら(笑)

    • at より:

      セッポンさん、こんばんは。
      コメントどうもありがとうございます(^^)
      私もびっくりしました、あの時代にこの規模、すごいですよね。
      天神山土塁はそれほど高くはないので、今度登ってみますね。

  2. 星華 より:

    水城跡って、天神山にもあったんですね!
    大土居の方のは昔何度か行ったことはあったんですが・・・
    気にはなっている場所だったので、行ってみたいと思います!(^^)ノ

    • at より:

      星華さん、こんばんは。
      いつもコメントどうもありがとう♪

      逆に私は大土居のほうには行ったことがないので、今度行ってみたいです(^^)
      こんな大掛かりな工事をするとは、太宰府守るのに必死だったのでしょうね〜。那珂川は城壁の外って感じですね(^^;)

  3. NACHIKO より:

    こんばんは~☆さすがに九州には古い史跡があちこちにあるんですね~。なぜか学校で習った歴史ってあんまり面白くなかったのでほとんど忘れてしまってしまってるのよね・・(^^)でもこうやって史跡にまつわるお話を読んでみると面白いから不思議~!あっちゃんのブログのお陰様です。写真とともにいろいろ想像をふくらませていますよ(^○^)

    • at より:

      なちこさん、こんばんは。
      いつもご訪問&コメントどうもありがとうございます。
      そうそう、授業で習うとね〜(^^;)

      自分で興味を持って調べると楽しくなります。歩きながらぶらぶらと、自分も勝手な想像(妄想?)をふくらませながら気ままに愉しんでいます。
      おつきあいくださり、どうもありがとうございます!

  4. かおたん より:

    小さなこんもりした丘にみえたのですが、よくよく読んでいけばとても大きな物なんですね〜!!
    元々の山や丘を利用して作ったものではなく、人工的な土塁なんですか!?水城って!
    しかもその名の通り、すごい水濠もあったんですね!?
    なんだか人間てすごいですね〜!できはいことなんて無いんじゃないかって思えてきます。
    歴史に思いを馳せると結局人間の偉大さに気づくのは私だけでしょうか〜?

    • at より:

      かおたんこんにちは(^^) ご感想ありがとうございます♪
      天神山土塁は、今はおっしゃるようにこんもりと残っているだけなんですが、当時はかなり大きかったみたいですよね。特に下大利の水城は解説を見ると1.2キロもあったというんですから、時代を考えるとかなりの規模の土木工事ですよね。今の時代を生きてるとずいぶん進歩した気でいますけど、今も昔も人間てそんなに違いがないってことかも知れませんよね。
      技術がある分、ついつい怠けてるかも(^^;)