奴国の痕跡をたどる散策も終盤です。
でも次の場所が、なかなか見つからない・・・
ここは先日訪れた熊野神社への入り口です。
例の「春日市文化財マップ」をたよりに歩いて来たのですが、ほかに史跡らしいものは見当たりません。
それにしてものどか(笑)
おっとこれかな?
畑の隅に案内板を発見しました!
須玖岡本遺跡(坂本地区)、とあります。
弥生時代最大規模の青銅器工房跡、ですって。
鋳型や坩堝、銅の滓が多数、それと周囲に溝をめぐらせた変わった建物の跡が見つかったため、青銅器工房だろうと考えられてるそうです。
なるほど。
、、、でもこの板が張ってあるだけでした。
それに探しているのはここじゃないんだよ〜、
周囲をうろうろすること十数分、我ながらあきらめが悪い(笑)
え、何を探してるって?
うん、以前書いたのですが・・・・・お、あれかも!
以前、奴国の丘歴史資料館近くにある奴国の王墓の上石というものを見て記事も投稿したのですが、そこは移動されたところで、元々見つかったのは別の場所、と説明されてたんです。
で、実際に発見された場所を探しに来た♪
・・・てここも空き地ですか(^^;
周囲は普通の宅地で、当の場所も盛り土があるどころか、よく整備されちゃってて古墳のコの字もありません。
近くに小さな川はあるけど、地勢的にも変わったところはなく、むしろ熊野神社や奴国の丘歴史資料館がある丘から見下ろされるような位置。柵を巡らさなきゃならないほどの高台にあった竹ヶ本古墳や赤井手古墳を見た後ではちょっと意外でしたが、考えてみればあちらは6世紀ごろ、こちらは紀元前か後かという話、実に数百年の開きがあるのですから、違ってて当然かも知れません。
今から500年前といえば戦国時代ですもんね (^^;)
技術力や国力みたいなものも全然違ってたでしょうし。
まっ更な空間にちょっと拍子抜けしましたが、
う〜ん・・・
このがらんとした空き地、春日市が管理してる土地なんでしょうね。
奴国王墓の上石って立派な史跡が発見された場所ですから、ここにもそのうち何か造るのかも知れません。
要所が更地になってるところがむしろ春日市、さすがに考えてます!
って私の推測ですけどね(^^;
[mappress mapid=”16″]
コメント
こんばんは〜(๑’ᴗ’๑)۶ ̑̑
ここに例の上石があったんですか〜!
しかし、なんと更地とは。。とほほ
家の建て替えでってことは、その前に家も建ってたんですから、そりゃ更地ですわな〜^^;
ちょっと拍子抜けでしたが、金印をもらった国王より数代前とはなんとなくロマン〜。
それにしてもあっちゃん、よく粘った!(笑)国王もお空の上から褒めて遣わす〜って言ってますよ(◍⁃͈ᴗ•͈)४♡*
かおたん、こんにちは(^^)
けっこう探し歩いたんですけどね、とほほ(´・_・`)
かおたんにもお褒めいただき嬉しいです!
粘ってよかった(^^)/
でもそのうちきっと、あの石をここに戻して何かモニュメントとかできるんじゃないかな、なんて思ってます。
ご感想、ありがとう〜〜(^0^)/
こんばんは~☆あっちゃん、たくさん歩いて紹介してくださって本当にお疲れさまでした~( ^o^)ノあっちゃんのお蔭で古墳がぐっと身近になった感じがしますよ♪遙か奴国に思いを馳せていろんな想像をふくらませたり楽しかったです~♪ありがとうございました~(^○^)また楽しみにしてますね♪
なちこさん、こんにちはー(^^)
いえいえ、単に散歩したくて、行く当てもないので地図片手にまわった、って感じなんです。天気のいい日に歩くと気持ちがいいので♪
こちらこそ、おつきあい、ありがとうございます。
古墳、古墳、また古墳で、ちょっとつらかったと思いますけど、いつもご感想までいただいて、本当にありがとうございます(^^)/
・・・て、実はまだあるんですけどね(^^;)