奴国の丘歴史資料館の初探訪は楽しかったのですが、
もりだくさんでなかなかお伝えしきれません(^^;)
しかももうひとつ、重要なものを書き漏らしてました〜!
これこれ(↓)
資料館の隣の公園にあるでっかい石。
上ぶた? って言っていいのかな・・・
ドームでも見ていただきましたが、このあたり一帯からは埋葬跡が夥しく見つかっています。たいてい副葬品は無いんですが、なかには剣やら勾玉やら鏡やら、いろんなものが一緒に見つかることがあって、そういう場合は有力な人の墓なんだろうな、ってことになる。
で、この石の下からはそういうのがとりわけいっぱい出てきた。
実は少し離れたところにもとはあったらしいんですが、その周囲は少し小高くなっていたそうで、そもそも石をかぶせるという特殊な埋葬方法も尋常じゃない。しかもご覧のとおりの大きさ (^^;)
そんなこんなで、この石の下に葬られていたのは、古代の奴国の王さまと考えられているそうです。
リンク先の記事を読むとこの石、それが何なのかすっかり忘れ去られてしまってからも、大事にしないとたたる、と伝えられていたらしいというから驚きですね。
何しろこの石の墓が作られたのは紀元前1世紀頃だというじゃないですか・・・
あの金印を贈られた奴國王より、さらに数世代前の王、ってことになるそうです(^^;)
みんな知ってる邪馬台国は二〜三世紀って考えられてるから、それよりもはるかに昔からここで暮らしてる人々がいたって思うと、ちょっと感慨深いです。
すでに農耕もあったんでしょうから、自分が毎日踏みしめてる地面・大地も、なんだかいっそうありがたいものに思えて来ます。
こういう植物たちって、当時からあったのかな・・・
コメント
前回の記事に引き続き、わくわくしながら読ませてもらいました!
紀元前1世紀・・・ぱっと言われてもどんな時代なのか全然わかりませんが、邪馬台国より前って・・・歴史の教科書の本当に初めのページですよね。
今は家ばかりが広がる土地で、うーんと昔のことに思いを馳せることができる環境にいれるなんて、本当に幸せなことですよね!(^_^)
ありがとうございます! 紀元前一世紀、むっちゃ昔ですよね〜〜 魏志倭人伝よりずっと前なので、はっきりしたイメージ、湧かないですよね(^^;) よくある弥生時代の絵みたいだったんでしょうか。
奴国とか前原の伊都国とかが、どんな風にヤマトに繋がって行くのか考えると、謎の部分が多いだけにわくわくですね、ほんと(^^)
須玖や岡本のあたり、家でびっしりですが、那珂川もそのうちああなるかも知れませんよね。きちんと調査できたらいいんでしょうけど、、、
あっとさん、こんばんは!
この歴史資料館、ほんとにもりだくさんですね~。
しかもいろんなことがリンクして、、テンション上がりますね(^_-)
それにしても、2000年前に強大な国家がここに存在していたなんて!
ただただすごいです!!・・・としか言えなくてごめんなさいですが(^_^;)
私もわくわく拝見しましたぁ☆
けいこさん、ご感想、どうもありがとうございます。いつも気にかけてくださって感謝です(^^)
お返事が遅れてしまって、失礼しちゃいました、ごめんなさい、、、
自分では何気なく散歩の途中に見かけたものを書いてきただけだったんですが、ここにあるように(ご紹介しきれていないんですが)体系だって整理して見せてもらえると、イメージが深まってきますね。古い歴史にハマる人たちの気持ちもちょっとわかるような気がします♪
いえいえ、私自身も、えらいこっちゃとただ感心するばかりです(^^;)
ヘェ〜、このでっかい石がお墓の蓋だったんですか〜!
この甕の棺は紀元前のものだったのね〜!
ホントにはるか昔に国があって王がいて、人々が暮らしていたんですね〜。
なんかすごいな〜。時は経っても現代に繋がってる。そこに私たちは生きてるんですね〜!
すごいことだ〜〜!
遠い地の古い話題をいつも丁寧に読んでくれてありがとうね(^^)
実際にどうだったかは、はっきりしないところも多いんでしょうけどね、、、今の人たちの見方から辿るしかないし、新しい発見があるとまたガラリと変わってしまうこともあるだろうと思います。
今周りで生きてる人たちのいくらかは、ここで暮らしてた人たちの子孫かも知れないって思うと、なんだか面白いです〜(^^)