謎の能臣、筑後に眠る?:高良大社奥宮・1

      2015/12/10

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高良大社(こうらたいしゃ)は久留米にあって、筑後一帯に信仰を集めてる古いお社。
この辺りでは知らない人はいないレベルなんですが、その御祭神・高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)がどういう神様なのかについては実はいろんな説があるらしく、ちょっと謎めいてるのも魅力のひとつ♪


おまけに日本中の神様が出雲に集う神無月にも、高良の神サマはどこ吹く風でここに鎮座、
おかげでこの地域は出雲同様、神在月って言ってるとかいう話もあって、謎VIPぶりがハンパない。

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そんな高良大社がある山の奥手にさらに奥宮があると聞いては、立ち寄らずにはいられません。
上の写真の鳥居がその奥宮の入り口。

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鳥居の脇の解説。

気になったポイントはこの奥宮、武内宿禰(たけのうちのすくね)の墓所ってことと、ここが高良山信仰の原点であるってこと。
あと、法力で天竺から招き寄せた清水があり、毘沙門堂として信仰されていたけど、明治の神仏分離で水分神社と改められた、ってこともいちおうメモ。

以下全文です。

古くは「高良廟」「御神廟」と称し、高良の神である武内宿祢の葬所と伝えられていた。高良山信仰の原点ともいうべき聖地である。付近の地名を「別墅(所)」といい、白鳳七年(六七八)開山隆慶上人が、毘沙門天(高良の神の本地)を感見して毘沙門堂を建て、天竺国無熱池の水を法力で招き寄せたのが、この清水であるという。
鎌倉時代の貞永元年(一二三二)には、惣地頭代刑部丞中原為則なる者が、五重の石塔をここに造立供養したというが、現存しない。次いで南北朝時代には、征西将軍宮懐良親王の御在所となったとの説もある。
中世末の記録によれば、ここには戒壇が設けられていたとある。恐らく現存の石積の壇を指すのであろう。壇上には室町時代の石造宝塔が立つ。
江戸時代の中頃、山中の極楽寺を再興した僧即心は、晩年ここに籠って念仏修行したという。
明治初年の神仏分離により、毘沙門堂は「水分神社」と改められたが、「あらゆる願い事を叶えてくださる神様」として、高良大社の数ある末社の中でも、今日特に厚い信仰を集めている。

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鳥居をくぐると完全な山道で、けっこう距離もありそう。
でもあの武内宿禰の墓所と聞いては、引き返すわけにもいかず、、、

武内宿禰は景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、応神天皇、仁徳天皇の五代に渡って仕えた大和朝廷の高官で、西暦84年誕生、没年が364年という伝奇的人物。神功皇后の半島遠征にも付き従って、あれこれ活躍してます。
あっとの住む那珂川町でも、裂田溝(さくたのうなで)を敷設したときのイカヅチ落としが伝えられてて、勝手に親近感♪

謎めいた高良玉垂命、実はこの武内宿禰ではないかという説に、あっとは惹かれてます。
高良大社の存在感からすると、武内宿禰クラスのビッグネームならかなりしっくり♪
表立たずにぼかして祀られてるあたりも、なんか「らしい」んですよね・・・

ただ、高良大社の裏手の末社・印鑰神社に、武内宿禰がはっきりと祀られてるのがちょっとひっかかります、、、

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にしても山道長いな、と思い始めた弱気を励ますように、小さな鳥居が見えてきました。

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「奥社」とあるのを確認。

でもまだ先があるみたい(^^;)

謎多きご由緒(高良大社インデックス)

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