筑紫郡那珂川町はいつまで?那珂川市はいつから?

那珂川市

わが町・那珂川町が市になります

筑紫郡那珂川町

那珂川市

個人的には嬉しいような、寂しいような、ちょっと複雑な気持ち。

ま、それはおいといて、今回は
筑紫郡那珂川町がいつまでで、
那珂川市が始まるのはいつからなのか?

そして、この変更にまつわる手続き関係について
確認したことをメモしておきます。

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筑紫郡那珂川町はいつまでで、那珂川市になるのはいつから?

まず時期的なことを。

筑紫郡那珂川町は2018年9月30日をもって終了。
筑紫郡はその長い歴史に幕を閉じることになります。

で、翌10月1日から、那珂川市が始まります。

 

「福岡県筑紫郡那珂川町」から、「福岡県那珂川市」になりますので、
手書きするときはかなり画数が減ります。

住所表示に変更はあるの?

これに伴い、当然ですが住所の表記が変更になります。

これまでは福岡県筑紫郡那珂川町むにゃむにゃ、
だったのが、
福岡県那珂川市むにゃむにゃ、になる。

幸いというべきか、当たり前というべきか、
この「むにゃむにゃ」の部分は変わりません。

なので、親戚や友人・知人に周知をはかる場合は、
筑紫郡那珂川町→那珂川市になりました、
と伝えればよいでしょう。

ちょっと注意しなきゃいけないと思うのは、
那珂川町が那珂川市になった、というのではなくて、
筑紫郡那珂川町が那珂川市になった、というのが正しい、
という点です。

郵便番号はどうなる?

郵便番号に変更はないそうです。

これまで通りで、自動的に那珂川市に
宛ててくれるらしい。

そういうわけで友人知人、事業を営んでいる皆さんなどは、
慌てて周知をはからなくても大丈夫なようです。
年賀状などを送る際に、市制変更になったことを、
一筆書き添えればよさそうですね。

電話番号の市外局番は変わるの?

それと電話番号。

これも郵便番号同様、変更はないそうです。

市制変更に伴う注意点

その他、いろいろな登録情報をみなさんお持ちだと思います。

町が配布しているガイドラインによると、
変更が必要と呼びかけられているのは
以下の住所変更。

  • 町の国民健保を除く健康保険
  • 生命保険、損害保険
  • 車の自賠責保険
  • クレジットカード
  • docomoを除く携帯電話
  • 町外の保育所・学校
  • 勤務先

などなど。

多くの方は、おそらくネットのアカウント関係で
住所を登録しているケースがあると思います。

それらも追々変更しなければならないのではないか、
と私は思います。

そう考えると、けっこうたいへん・・・汗
*他にもあるかも知れませんので、町からの案内をよくご確認ください。

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那珂川町の外の人はどうする?

ここまで、町内に住んでいる人の手続きを書いてきましたが、
町の外に住んでいる人に影響はあるのでしょうか?

これは当面は大丈夫でしょう。
電話番号も変わらないし、郵便物は転送してくれます。
あと、何かありますかね、、、?

ただ、ずっと放っておくと転送の手当が無くなって、
郵便物が戻ってしまう時が来るかも知れません。

ま、しばらくは大丈夫と思いますが。

筑紫郡と那珂川町の歴史

ところで、那珂川町と一緒に消えてしまう筑紫郡という地名。
これってけっこう歴史があるみたいなんですよ。

Wikipediaによると、筑紫郡が生まれたのは明治29年(1896年)。
それ以前にあった御笠郡・那珂郡・席田(むしろだ)郡を統合して生まれています。

この時、筑紫郡に所属していた地域を見るとちょっと驚きます。
*参考:筑紫郡 – Wikipedia

旧・御笠郡(2町6村)の地域

  • 大野村(現・大野城市)
  • 水城村(現・太宰府市)
  • 山口村
  • 筑紫村
  • 二日市町
  • 御笠村(現・筑紫野市)
  • 太宰府町(現・太宰府市)
  • 山家村(現・筑紫野市)

現在の大野城市、太宰府市、筑紫野市が含まれていることがわかります。

旧・那珂郡(13村)の地域

  • 警固村
  • 豊平村(現・福岡市)
  • 南畑村(現・那珂川町)
  • 春日村(現・春日市)
  • 岩戸村
  • 安徳村(現・那珂川町)
  • 三宅村
  • 曰佐村
  • 那珂村
  • 八幡村
  • 住吉村
  • 堅粕村
  • 千代村(現・福岡市)

那珂郡には、岩戸、安徳、南畑など今の那珂川町
に属する地域の他、三宅や日佐、警固など
現在の福岡市南区の一部が入っています。

そればかりか、千代・堅粕・住吉など、博多の中心部まで
含まれていたことがわかります。

旧・席田郡(1村)の地域

こちらは席田(むしろだ)村のみ。
席田も今の福岡市ですね。

筑紫郡最後の地域が那珂川町

これらの広大な地区から、ちょいちょい福岡市への
編入が行なわれ、そうでない地域では村々が合併、
やがて1972年、一気に筑紫野市、春日市、大野城市が
筑紫郡から離脱します。

かくてとりのこされた那珂川町(旧南畑・安徳・岩戸)
だけが、筑紫郡の名を冠して、今に至ることとなりました。

1896年以来、筑紫郡の名を今に伝える南畑・安徳・岩戸も
遂に市制へと移行。
筑紫郡は、122年の歴史の幕を閉じることになります。

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さよなら筑紫郡那珂川町

以上、那珂川町が那珂川市に移るにあたり、
確認したことをまとめました。

後半はちょっと余計な情報でしたが、
最後まで筑紫郡の名を残した那珂川町で暮らす一人として
筑紫郡の名を少し悼んでみました。

たいていの群にはいくつかの町や村が所属している
ものですよね。
でも筑紫群には那珂川町しかない。
そこにはこんな経緯があったというわけです。

ご存知の方も、もちろん多いのでしょうけれども。
最後までご覧くださり、ありがとうございました。

コメント

  1. 浜田るり子 より:

    遂に那珂川町が市になったんですね(*^^*)
    おめでとう
    那珂川を離れて10数年
    いつなるのいつなるのとずっと言われてたけど
    遂になったんですね(*^^*)
    若い人が根付いてくれ
    暮らしやすい町になること願ってます