中津城(大分)〜扇の深慮

史跡

大分県は中津市にある中津城、

パソコン不調が続いて投稿できないまま、訪れてからかなりの時間がたってしまったのですが、メモがてら書いてみます。
築城したのは黒田孝高(よしたか)。

福岡では如水(じょすい)ていう名前の方が知られているかも知れませんね。
来年の大河ドラマの主役・黒田官兵衛その人です。

・・・昔の人っていろいろ名前あってこんがらかるね(^^;)

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しかも、官兵衛さんと関係あるのは何となく知ってたんですが、例によって行き当たりばったりで行ったので、その他の予備知識ゼロ。

こちらの解説にあった奥平家って??

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まずは中津城について、wikiPedia先生にお尋ねしました。

周防灘(豊前海)に臨む中津川河口の地に築城された梯郭式の平城である。堀には海水が引き込まれているため、水城ともされ、今治城・高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられる。本丸を中心として、北に二の丸、南に三ノ丸があり、全体ではほぼ直角三角形をなしていたため扇形に例えて「扇城(せんじょう)」とも呼ばれていた。櫓の棟数は22基、門は8棟。総構には、6箇所の虎口が開けられた。
中津城は、冬至の日には、朝日は宇佐神宮の方角から上り、夕日は英彦山の方角に落ちる場所に築城されている。また、吉富町にある八幡古表神社と薦神社とを結ぶ直線上に位置する。鬼門である北東には、闇無浜神社がある。

闇無浜神社・・・気になるぅ(#^-^#)

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黒田孝高(如水)が普請した石垣は、1588年に普請された現存する近世城郭の石垣としては九州最古のものである。

・・・だそうです。

上の写真はお城の上からの眺め。内陸方面。

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反対側はなるほど、河口が見えてます。
向こうは周防灘。広々して気持ちいい♪♪

さっきの奥平家について調べてみますと、

享保2年(1717年)、奥平昌成が丹後宮津藩より10万石で入封。以後、明治4年(1871年)の廃藩置県まで9代・155年間支配するところとなった。廃藩置県の後、中津県・小倉県・福岡県を経て大分県に編入された。

なるほど、黒田官兵衛の後少したってからは、奥平家が長いこと治めていたんですね。

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見えてるプールは小学校のもののようですが、
毎日お城を見上げて通学に勉強とは、
歴史意識も高まるでしょうね。

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白く伸びてるのは隣接している神社の参道です。
あまりにお城に近いので混乱していたのですが、さっきの記述に、城全体が直角三角形なので扇城と呼ばれてる、とあったのと関係あるのかな。

どうしてそんな構造にしたのやら、これも軍師官兵衛の深慮だったのですかね・・・(*^^*)

こちらのblogさんに古地図があったので、リンクさせていただきます。

この後は淡島社へ足を伸ばしました。

粟嶋社(大分)-1〜国東の入り口で
中津城の後、さらに東へ。 まだ行ったことがない、国東半島を目指します。 福岡に住んでいても大分のこのあたりって、なかなか行く機会がなんですよね。初めての土地にわくわく♪

コメント

  1. 中津城、立派なお城ですね〜!
    お城ってなんかとても魅力的(*^^*)
    住んでみたい気持ちにさせられます。
    どんな日常が繰り広げられてたのかしら〜♬

    • 福岡に来てからいろんなお城見てきましたが、海に近いところは眺めがよくていいですね〜。上から地形を読んで、にわか軍略家になった気分を楽しんだりw
      たいていは再現されたものでしょうけど、フロアはけっこう狭いですよね。暮らしの場としてはどうなんだろ? どんな風に使われていたのか、うん、気になります・・・