岩門城趾へのふもとからの道のりも、半分くらいは来たことになるでしょう、多分。
神社でちょっとひと休みです。
拝殿自体が巨岩の上に建てられています。
きれいに手入れされている様子。
こんな高くまで通うのもたいへんだろうな〜、ごくろうさまです。
拝殿の奥はこんな感じ。
岩の間に本殿が、実にきっちりしつらえてあります。
横から見たらこんな具合。
もとは岩と岩の間が大事な場所って感じだったのかな、とちょっと思いました。
屋根とか、岩がめりこんでます。
どうやって作ったんだろ。
それとも、できてからめりこんだ?
奥には別のお社がありました。
・・・何気に、右にもちっちゃいのがあるんだけど、、、
いずれにしても巨岩を囲んで、平地にある神社とはまた違った感じ。
ご御祭神が記してあります。
高津正一位稲荷=豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)
正一位っていうのは神格でしょうね。高津稲荷の肩書きみたいなものかな。
それにしても、なぜ高津稲荷が豊宇気毘売神と同じになっているのか、ちょっと不思議。
説明には「山田区伏見神社本宮から頓宮される」とあります。
頓宮(とんぐう)っていうのは仮の宮ってことで、一時的にお祀りしている、ということらしいです。すぐ近くの伏見神社に祀られている淀姫命はトヨ姫と言われることもあるらしいってどこかで見たような気がするけど、こちらの豊宇気毘売神とも何か関係があるのかなぁ、、、
原田種直は、この高津神社のある岩門城趾の城主。高津権現は糸島の熊野権現から分配された、その原田家の守護神とあります。
ちょっと気になるのは「高津」という名前がどこから来たのか。
このあたりの地名としても聞いた事ないし、もとの熊野神社(今は染井神社と呼ばれているらしいです)にもその名前はないようです。
淀姫命を津波と関連づける向きもあるようで、そうだとすると頓宮ともつじつまが合うのかもな、なんて思ったりもしましたが、ホントのところは今のところナゾです。
気になることもりだくさんの謎めいた神社なんですが、
もっとも気になったのはこちら↑
なにこのスーパーなデフォルメ感!
これまでくぐって来た鳥居が、まるでマトリョーシカの外側だったとでも言わんばかり。
じっと見てるとかわいいような、かえってちょっと畏れ多いような・・・
鳥居のイメージを根底からゆさぶられます。
頭の中は?がいっぱいでしたが、考えても太刀打ちできそうにないので山登り再開。
この先どう行くのかな、と道を探してうろうろ。
しばし戸惑った後、社務所の裏側にどうやら・・・
コメント
こんばんは〜♪
色々謎ですね〜。たくさんの鳥居は結局神社まで永遠に連なっていたのですか〜?
そしてチビ鳥居の先には何があったのかしら?
それにしても岩間に挟まれた神棚?すごいね〜!
屋根も岩に食い込んでるように見える〜。
すごい岩のある土地?山?なんですね〜。
さぁ、道はまだまだ続いてるのね?この先何があるのかな〜♪
かおたん、おはようございます(^^)
鳥居の波はかなり続いてました。
最後の巨石のあたりは道が細くくねっていて、立てる場所が無かったようですけど。
ちっさい鳥居は境内にちょこんと置いてあっただけで、その前後には何があるわけでもなく、ホント謎・意味わからん〜(^^;
山ってどこでもこんな大きな岩があるものなんですかね、それともやっぱり珍しいのかな。
山経験が浅すぎてよくわかりません。
でも大きな岩を見ると圧倒されますね。拝みたくなる気持ちもなんとなくわかります。
おつきあい、どうもありがとうございます(^^)ノシ
いろいろ疑問がありますよね。でも考えるのって楽しいです♪
トヨウケビメさんってたしかお稲荷さんだったと思います。
それにしても、高津というのは、原田さんか、その祖先に関係する地名なのかと思っていましたが、なんなんでしょうね・・・?
あと、小さい鳥居!
昔テレビで、小さな鳥居を妊婦さんが腹這いになってくぐって安産祈願しているのを見たことがありますが、これもそうなんでしょうか?
あまりにも小さいですよね(^_^;)
そうそう、考えるのがまた楽しいですよね(^^)
かなり古い事になると、ホントのところは謎のまま、みたいな面もあるし♪
そうですか、稲荷神なんですね。ありがとうございます♪
高津、人によっては昔は海がかなり内陸に食い込んでいたと言う人もあるようで、津波説も考え方のひとつとしてはアリなのかな、、、なんて思ったり。神功皇后の遠征の時に、あまりにあっけなく新羅が降伏してるのも気になりますし、、、
小さい鳥居、、、ですよね〜。くぐれなさそうだけどなぁ(^^;)
詳しく見てくださって、ありがとうございます(^^)/