JR竹下駅の正面の通り沿いにある那珂八幡宮。
古墳の上に建てちゃってるってことでちょっと驚きました。
で、登った階段とは反対側、本殿の裏手にも階段があったので、そちらから降りてみると、、、
中程になにやらまたひとつ祠が。
天井は高くないけど、大人でもかがめば十分入れます。
コンクリート製ですから、もともとここに祀ってあったものをリニューアル(っていうのかな)したんでしょう。
降りてみるとこちらにも鳥居がいくつもあって、
でも扁額にあるのは那珂八幡じゃなく、武内大神。
・・・どういうこと??
ひとつの小山に二つの神社、
こっちから入れば入れば武内大神、
あっちから入れば那珂八幡
・・・ってことですよね。
そういえば、昨日見ていただいた由緒書きに、
神社の西麓には元宮と称するところがあるが、那珂八幡宮の祭祀のはじめはわからない。
と、ありました。
ここはちょうど西側の斜面にあたりますから、こちらが元宮(自称?)、ということになりそうです。
にしても武内大神ってなんだろ?
周囲に何もないし、那珂八幡の由緒書きにも何も無かった。
むしろ、元宮と称する、とか書いてて、ちょっと冷たくされてる感じも受けちゃいます。
って、ちょっと考えたらすぐ納得。
名前のまんま、武内宿禰(たけのうちのすくね)を祀ってるんだ!
いいかげんこのくらいはピンとこなきゃなぁ・・・( >自分)
武内宿禰は神功皇后に付き従って活躍した伝説の補佐官。お隣の那珂八幡に祀られている応神天皇も含め、なんと五代の天皇に仕えた伝奇的人物で、寿命は軽く見積もって300歳(^^;)
武内宿禰がここにいたので、その上手に応神天皇を祀った八幡神社を造った、
こう考えれば理解しやすいですね。
でも、もともとなぜに武内宿禰がここに祀られていたんだろ??
ちょっと謎・・・。
古墳に埋葬されてるのが、武内宿禰にゆかりの人物だったんでしょうか。
それとも、このへんでは一般的に慕われてたのかな。
このあたりが、称する、って書かれちゃってる理由なんでしょうか、、、
コメント
昔はもちろん木造だったんでしょうが、コンクリート製に変わっちゃったんですね。
うちの近所の古い神社も、焚き火の火が燃え移って全焼したんですが、
やはりああ云う神社の類を建てるには神木でないとダメなんだそうで。
結局、神木が手に入らず(高かったんでしょうね)コンクリート製の神社になりました。
味気無いですよ~…良い雰囲気の神社だったんですが。
ちなみに火事の原因の焚き火ジジイは、今だに同じ場所で焚き火してます(^^;;
しかし武内宿禰、なかなか面白そうな人物ですね…
セッポンさん、こんばんは(^^)
いつも見に来てくださって、ありがとうございます♪
へー、神木じゃないとだめなんですね。そこまでは思い至りませんでした。
なるほど〜〜。
それにしても木造のお社、残念でしたね、、、
やっぱり木の方が、なんか生きてるっていうか、なじみやすいですよね〜。
コンクリートになると冷たい感じになってしまって、不似合いなだけにちょっと不気味な感じもします。
メンテナンスのことを考えると仕方がない面もあるんでしょうけど、コンクリになるってことはそれだけ手を抜いても大丈夫になるわけで、仮にそんな風になっちゃうと、尚のこと縁遠い存在になってしまうでしょうね・・・
武内宿禰は筑後地方でも広く信仰されてるみたいですね。
追って行くといろいろひもとけそうな人で、楽しみです♪
ふ〜ん、あっちゃんの解説でふむふむと一緒に納得したりして(*^^*)
二つの神社のなれ初めというのかな、色々あ〜なのかなこ〜だからかな、と思いを巡らせるのもまた楽しいですね♪
そして更になんでかな?もムクムクっと(笑)
本当に神社を辿るだけで本を書けちゃうんじゃないかなってくらい奥深いし色んな繋がりが。。!
それにしてもリニューアル?したのはなんだかコンクリで囲っちゃうのはいただけないな〜^_^;
もう少し風情を、と思うのは私だけ〜?
古墳のことも色々興味は尽きません〜(*^^*)
かおたん、こんばんは(^^)
今回もコメントありがとうございます!
わはは、コンクリ神社、不評のようですね(^^;)
管理する人にしたら木造はやっぱり手がかかるんでしょうね、、、
ただ、いつも思うんですが、コンクリ製のって、独特の雰囲気があるんですよね・・・正直言うと、ちょっと怖いです。木よりも近代的なはずなのに、なんでかな、、、
そうですよね〜〜、興味も尽きないし、実際に調べて歩いている歴史ファンもたくさんおられるんでしょうね。ひとつの趣味としても十分成り立つんじゃないかと思います。
ホントのところはよくわからない、ってとこも、おっしゃるように想像を巡らせることができて楽しいですよね♪
これからもバランスよく楽しんでいけたら、って思っています♪