こんにちは、
プロフィールをご覧くださり、どうもありがとうございます。
那珂川篤人(なかがわ あつひと)です。
SNSなどでは「at(あっと)さん」と呼ばれています。
自営業のかたわら、地元を散歩しまくって、blogに記録しています。散歩歴15年の「そぞリスト」です。
出歩いている範囲は那珂川市(旧筑紫郡那珂川町)を中心に、福岡市、春日市、大野城市、粕屋市あたり。
ドライブも大好きです。
でも人混みが苦手なので、メジャーな観光スポットから少しズラした場所に行くのが好み。
お金をかけずに、日帰りでブラリと、そぞろ歩きの延長で楽しんでいます。
散歩を楽しむ “そぞリスト”
上に書いた「そぞリスト」というのは、長年散歩を楽しみながら、なんとなく使い始めた造語です。
人に話すと案外共感してもらえるので、このblogでも使うことにしました。
具体的には「そぞろ歩きをする人」=「散歩をする人」の意味なんですが、散歩のなかでも特に「気ままな」歩き方を大事にする、という意味をこめて使っています。
散歩って、そもそもそういう意味なんじゃないの?という向きもおありでしょう。
まぁそのとおりなんですが、私が散歩を15年以上続けてこられたのは、いくつかの楽しみに気づき、そこに比重を置いて歩いてきたことが大きいです。
気ままに歩くというのは、言い換えると目的を持たずに歩くことなんですが、目的をもたずにただ歩いていると、見慣れた景色が違った様相を見せてくれます。用事を果たすために急いでいるときは、景色そのものを見ていない、ということもありますが、なんのためでもなく&どこへ行くでもない心算りでいると、その場その場の風景やものたちが、いろんな風に声をかけてくる。比喩である以上に、自分では思いもしないことを向こうから提示してくると感じる場合が、実際多いんですよね。
それって突き詰めると、気ぜわしい日常の中で心の奥に封じられている自分の声なのかも知れないのですが、ともかく、目的を外した時に聞こえてくる声の「ざわざわ」感が、ちょうど「そぞろ」という音の響きとよく符合する気がして、こういう言い方をするのが気に入ってしまったのです。
というわけで “そぞリスト” は、散歩の中でも、特に目的を外した時に聞こえてくる周囲(=心)の声を聞くような歩き方を大事にする人、ないしその実践者を意味します。
まあ、自分で勝手にこう言っているだけなんですが、もしかすると自分と似たような歩き方をしている方もいらっしゃるのではないかと思い、自己紹介がわりに書かせていただいています。
「そぞラー」「そぞる」「そぞ活」
ほかに、blogの中にも出てくるかも知れませんが、そぞる、そぞ活、そぞラーなどのバリエーションがあります。
「そぞラー」は「そぞリスト」と同様、ここで言う意味でのそぞろ歩きの実践者ですね。
実践そのものは「そぞる」「そぞ活」などと言っています。
そぞリストatがいま気になっていること
さて、15年という月日を長く感じたことは実はないのですが、長年そぞっていると、その場所の空気感というか、雰囲気みたいなものに気づかされることが増えてきました。
最近は特に気にになっているのですが、いわゆる「気(QI)」のようなことにも案外、関係があるのかも知れない、などと思いつつあります。
よく感が鋭い方などが「この場所は良い気が流れている」とか、逆に「悪い気が淀んでいる」などと言ったりしますよね。私自身はスピリチュアル系のそういう趣味はなく、もちろん能力もないのですが、そぞ活していると何かあるんですよね、場所ごとの雰囲気というか、光の具合というか、なかなか言葉にしにくい違いが。
それで、自己流ですがそういう感じをなるべく言葉にして、具体的に輪郭づけていきたい、というようなことも考えています。
あ、もちろん「そぞ活」なのでそれを目的に歩いたりはしません。あくまでそぞろ歩きを楽しむためのスパイスのひとつとして、ですけど。
ほかにもスパイス的なテーマはけっこうあって、神社や古墳などに立ち寄ることも多いです。ひとまとめにしてパワスポ(パワースポット)というカテゴリーを作ったりしていますが、歴史にも興味があって、これらは互いにかぶることが多いですね。
普通に公園とか、観光名所でそぞることもあります。観光地でそぞるのはけっこう雑念=目的が入ってやりにくいですが。
このblogでは、そんなこんなや、行きたいところも含めて書いたりしています。
こんな私ですが、よかったらよろしくお願いします。
忙しない世の中では「そぞ活」するのはけっこう贅沢とみられることもありますが、共感してくださる方がいらっしゃいましたらぜひtwitterでご連絡ください。そぞリストのお仲間募集中です(笑)。