せっかく大川まで来たんです、昨日の昇開橋のほかにもどこか見たいと思って、観光マップをチラ見しながらやってきました、風浪宮(ふうろうぐう)。
ほんとに予備知識のない状態で寄ったのですが、
びっくりな面々に出会って小躍り♪
広々した駐車場からまっすぐな参道。
ちょっと独特な、風通しのいい感じがします。
やけに地面が平たい感じも。
社殿の朱色も鮮やかで、全体的にけっこう新しい感じ。
なんだろ、あんまりいわれのないとこなのかな、
そんな第一印象でした・・・無知恐るべし(^^;)
地元では「おふろうさん」と呼ばれているそうです。
ふうろうぐう>おふろうさん、いい感じですね。
祀ってあるのは、少童命三座(表津少童命・中津少童命・底津少童命)。
少童命は、「わたつみのみこと」と読むそうです。
これって志賀島の志賀海神社に祀ってあった綿津見三神のことですよね、多分。
ほかに住吉三神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)と息長垂姫命(神功皇后)に高良玉垂命も祀られていて、でました神功皇后(じんぐうこうごう)ご一行様、という感じです。
皇后伝説は北の方だけの話かと思いきや、ちょっとびっくりです。
橋の脇の庭園↓
自分にはやや鮮やかすぎる印象・・・
本殿脇になにやらでっかい樹が、
樹齢ン〜年て、よくあるやつかと思いきや・・・
いわれを読んでさらにびっくり
適当に読みやすくしちゃいます。
神功皇后が三韓遠征から帰還するとき嵐に遭遇しましたが、
少童命(わたつみのみこと)の加護で葦原の津、現在の榎津(得の津)にたどり着きました。
その時、近くに現れた白鷺を見た皇后が、あの白鷺こそ風浪の難から守ってくれた少童命の化身だ、と言って武内宿禰(たけのうちのすくね)に後を追わせました。
その白鷺は北東方向に飛んで行ってこの大楠の上にとまったので、ここを聖地にして少童命をお祀りすることになり、海上の指揮をとった阿曇磯良丸(あずみのいそらまる)を、この宮の初代宮司として留めました。
・・・出ましたイソラ!
彼こそは志賀海神社に代々仕える宮司・阿曇氏の祖神です。
神宮皇后が出征する際、諸神に集まるよう呼びかけたのに、彼だけがなかなか出てこなかったというイソラ。
神楽に誘われてようやく出てきて、干珠・満珠を操って航海に大活躍したっていうイソラ。
諸説あるようですが、ざっくりこんな理解で(^^)
て、ここの宮司もしてたのね。
干珠・満珠は潮の満ち引きを操る珠です。龍宮城から持ってきたんでしょうね。
武内宿禰は、神功皇后の命でわが那珂川町の裂田の溝を拓いた人ってことでよく憶えてます。
皇后の番頭さん(?)てイメージ。
御一行がたどり着いた榎津という場所は、木工で知られる現在の大川市のなかでも、家具生産の発祥の地と言われる地区です。
神功皇后御一行は、志賀島のほうから半島に出かけて行って、この有明海の奥の奥に戻ってきた、ってことなのかな? なんで長崎半島をぐるりとまわったんだろう。
本殿は1560年、時の領主の蒲池氏16代鑑盛が再建したものだそうです。
脱線ですが歌手の松田聖子さん、この近所の久留米出身。
本名は蒲池っていうんじゃなかったっけ? と思って調べたら出てきました。
生家は柳川城の城主だった蒲池氏第16代目蒲池鑑盛(蒲池宗雪)の三男の蒲池統安の子孫であり、江戸時代は柳川藩家老格だった旧家。家紋は蒲池久憲以来の「左三巴」で、神田正輝との結婚の披露宴の際に身につけていた緞子織りの白無垢に左三巴紋が記されていたことがテレビでも放送された。
意外な場所で意外なつながり、たくさんですね。
次回もおふろうさんの続きになる予定です。










コメント
おふろうさん、すごい云われや繋がりが!
なんか松田聖子まで広がっちゃって、歴史は壮大ですね〜。
庭園の写真はとても素敵です♪
パワーを感じる気がします♡
安積?安曇?やら、綿津見やら頭が混乱してきましたが、いろんな云われを辿るのは興味深いですね♪
かおたん、こんばんは♪
忙しいなか丁寧に見てくれてありがとう(^^)
昔のカミサマとかの名前って読み方が難しいですよね。きっとあとから漢字をあてはめたから余計にややこしくなってるんじゃないかと思います。
そのうち松田聖子もお祀りされるかも知れないけど、こちらは読みやすくて安心です(笑)